さて、ここで皇太子妃の雅子様について触れたいと思います。
雅子様というよりも、お父様の小和田恆氏に関する話ですが。以前に小欄におきまして、「自分の小さい頃は、日本は侵略国家だなんて言う大人は回りにいなかったし、靖国をあげつらう話もなかった。」と書きましたし、吉田茂をはじめとして、白州次郎なんかも占領軍にたいしても毅然としていたそうですね。ではいつ頃から我が国は侵略国家だ、とメディアが言い始めたのでしょうか?
実は、昭和60年の衆議院外務委員会における、ある外務官僚の答弁が事の発端だったそうです。この外務省の人間が小和田恆氏でした。小和田氏の師匠にあたるのが東大の国際法の教授で東京裁判の翻訳を務めた横田喜三郎氏です。著書の「天皇制」の中でこう述べているそうです。「天皇制は民主主義とは、両立しない、だから将来的には天皇制の廃止を考えなければならない。」小和田氏が外務省にいるときは横田氏は外務省顧問になっておりますので、二人の関係は浅くはないでしょう。横田氏は後に国連の国際法委員会のメンバーになっております。小和田氏は現在、ハーグの国際司法裁判所の判事でいらっしゃいます。国連、IMFなど国際機関は国際主義者、つまりある民族によって、各国の主権を縛るために、創設されたと言われております。
今となっては、どうにもならない話ですが、皇太子妃としては、難しい御家庭から宮家に嫁がれたわけです。美智子様が宮家に入られる以前は、天皇陛下の御相手は藤原家にご縁のある女性に限られていたそうです。これはどんな保守の論客も指摘してませんが、藤原の遠つ親、御先祖様は中臣氏で天皇家の祭祀を司ってきました。その中臣氏は天孫降臨にニニギノ命を補佐せよと天照大御神の神命を授かった、アメノコヤネ命がその祖先になります。ですからいくら藤原氏が宮廷で権勢を誇っても、決して自ら天皇になろうとはしませんでした。あくまでも天皇家を補佐する、それに徹していたのでは?
初めて民間から天皇家に入られた、美智子様が大変辛い思いをされ、最後に「もう、大丈夫。私は浄化されましたから。」との御言葉は、そこにある気がいたします。ある試練を課せられたのではないでしょうか。
ですから、天皇家とは相容れない思想の持ち主のお父様をおもちになった雅子様が皇后様になられるのは、自分は以前から、かなり危惧しておりました。雅子様が良いとか悪いとかの話ではありません。自分もここ7年になりますでしょうか、色んな不思議な体験をしたりしますと、人はある霊的な背景を持っていると思うようになりました、本人の意思と関係無く、物の価値観を決めたり対人関係を動かしたりする力が存在いたします。
自分の勝手な結論付けになりますが、生前退位という前例を残して、皇太子様の東宮家より、早期に秋篠宮様が天皇に成るべく道筋をおつけになったのではないでしょうか。