靖国と私2

ではなぜ靖国が騒がれはじめたのか、大きな理由のひとつには、皆様もやっと目が覚めたとおもいますが、覇権主義もろだしの中国共産党によるものです。1998年、江沢民前国家首席は各国の駐在大使全員を集め「日本に対しては、歴史問題を常に強調すべきだ、永遠に言い続けなければならない。」と指示いたしました。経済力豊な日本をコントロールするためです。79年A級戦犯が合祀されてから6年後から中国は靖国問題で日本を非難しはじめます。早い話最初はなんにも言ってないんです。
ソ連の弱体化と伴って中国は対日戦略を友好戦略から切り替えます。それまではソ連に備えるため日本はもっと軍拡すべきと言ってたそうです。
まあ、日本のメディアが中国に日本叩きのネタを差し上げたようなもんです。そして外圧に屈した中曾根元首相が靖国参拝をやめました。中国にたまを握られた国会議員が靖国に代わる追悼施設をつくれなどと、手前かってなことをいいだします。中共は長い年月をかけて、日本の共産主義化を謀り工作を続けています、最終目標は日本が現在保有している国力の全てを中国共産党の支配下におき中共の世界解放戦に奉仕せしめること。最終目標には天皇を戦犯の首魁として処刑。1972年中共の秘密文章「日本解放綱領」です。そんな彼等にとって靖国やそこに集う人達は邪魔で邪魔でしょうがないんでしょう。あの戦争は確かに無謀で悲惨な戦争でした。広大な支那大陸に軍隊を貼り付けたまま、太平洋を戦場に米英と戦うなんて正気の沙汰ではありません。それでも彼等は戦ったんです。末期には十分な訓練もうけられず片道切符で爆弾抱えて、敵艦目指し、よたよたと飛んでいった英霊もいます。気温60℃洞窟陣地の中、どろどろに溶けた戦友の遺体の脇で死ぬまて゛闘いぬけと命じられた英 霊もいます、蛸壺陣地を退くに退けずに夜陰にまぎれ、敵兵の肝の汁をすすりながら闘いぬいた兵士もいらっしゃいます。
彼等が何故最後まで戦ったのか、それは自分の命と引き換えに家族を国家を守ろうという崇高なまでの意思であります。彼等は靖国で会おう、そう言って散華なさいました。自分はあるご縁ありまして、元陸軍特攻隊の方に昨年お会いすることができました。約2時間お話をしていただきました。私がお訊きしたかったことは、2つ。出撃前のお気持ちはどうでしたか?彼は「やってやるぞ、という気持ちでいっぱいでした。」そして、皆さんは靖国で会おうと誓いあって出撃なされたのですか?「はい、その通りです。」
部屋の奥に、靖国の御札がお祀りされておりました。