富田メモ

昨夜のテレビ番組で池上さんが靖国神社を取り上げていました。その成り立ちや英霊と靖国の関係などを分かり易く説明してくれたんですが・・・何故か富田メモの話がでてきました。
富田メモは何かと言いますと、元宮内庁長官の富田朝彦氏の残したメモに昭和天皇のお言葉がありました。どういうお言葉かといいますと「A級戦犯が合祀され、白取、松岡までもが靖国に祀らる、だから私は靖国を参拝していない。それが私の心だ。」 これが日経にのりました。その後、朝日などはA級戦犯の合祀をやめろと唱え続けたそうです。実はこのメモは不自然な点ところが随分とあるらしいんです、天皇は重い病の時にそんな話をするのか?とか宮内庁長官ならば必ず知っているはずの白鳥の字を白取と間違えていたり、手帳に後からこのメモが貼りつけてあったりしているそうです。
このメモを取り上げる必要性があの番組のなかであったのか?このメモを肯定するということは、あの極東軍事裁判を認め、また戦犯は存在し、天皇は戦犯を憎んでいた、ということになります。前にも書きましたがあの裁判は事後法で我が国を裁き、検事は全員先勝国より任命されました、検事の中で唯一人国際法学者、インド人のパル博士は被告人全員無罪の判決を出しています。また日本人の被告人を弁護したアメリカ人弁護士でさえ「国際法上合法である戦争で人を殺しても罪になるはずがない。」「公正を期すために中立国の判事をいれよ。」
「原爆を投下した者が裁く側にいる、広島、長崎の残虐性はいったい誰が裁くのか。」 あるアメリカ人の弁護士はこうも述べています、「最初はやりたくない仕事を仰せつかったとおもったが引き受けて調べてみると被告人の無罪を確信するようになり、裁判自体が不法であると思った。
もっと端的なのは、この極東軍事裁判の首謀者であるGHQの最高指令官である、ダグラス・マッカーサーでさえアメリカ上院軍事委員会で、日本の先の戦争の原因は主に自衛の目的であったと証言しています。
あーもうどうにもとまらないリンダもっと言いますと陛下は戦犯とされた人たちについて木戸内大臣にこうも、おっしゃっています。「彼ら、連合国、にとっては敵であっても私にとっては忠義の者であった。」と、それとこれは一番大切な言なんですが池上さんは昭和天皇が戦犯が祀られているから靖国を公式参拝しなくなったと述べていましたが、これは全くの間違いであります。陛下が参拝をお止めになったのは国際的な騒ぎになることをお避けになったからです。これは素晴らしい政治的判断であると元皇族竹田恒泰氏もおっしゃっています。その代わりに毎年、大祭の時には勅使をおくられております。勅使とは陛下の名代として儀式を執り行うのてので陛下ご自身が参拝なさったのと同じ意味をなします。
もう一つ言わせてください!!戦犯の何人かが処刑された日、陛下は政務室に閉じこもられたままだったそうです。部屋から出てこられた陛下は目を真っ赤にされていたど侍従だった村井長正氏は証言しています。それともっと言わせてください!!昭和27年から28年にかけて戦犯の釈放を求める声が高まり遺族援護法も与野党満票で可決され戦犯の遺族年金まで支払うようになりました。この時に非常に尽力なさったのが社会党の堤ツルヨ衆議院議員でした。当時の社会党の中には立派な方もいらっしゃったんです。やがてサンフランシスコ講和条約によってA級戦犯とされて服役していた賀家興宣氏は法務大臣に重光葵氏は外務大臣になり国連で有名な演説をしています。番組が終わったあと、うちの熊吉君がこういってました、「あまり歴史に詳しくない私みたいな者はこの番組を鵜呑みにする。」これがメディアの怖さです。ちなみに日経は朝日とは勿論、中国の人民日報とも親しい間柄だそうです。
終わります。