終戦記念日

茨木のり子

「わたしが一番きれいだったとき」
わたしが一番きれいだったとき
街はがらがと崩れていって
、とんでもないところから
青空なんかが見えたりした。
わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた。

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残して発っていった

GHQ最高司令官
ダグラス・マッカーサー
1951年5月3日アメリカ上院軍事外交委員会
日本は八千万近い膨大な人口を抱え、それが四つの島の中にひしめいているのだということを理解していただなくてはなりません。その半分が農業人口で後の半分が工業生産に従事していました。
潜在的に日本の有する労働力は、量的にも質的にも、私がこれまでに接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者たちは、人間は怠けているときよりも、働き、生産しているときのほうが幸福なのだということを、つまり労働の尊厳とよんでもいいようなことを発見していたのです。
これほど巨大な労働能力を持っているということは、彼らに働くための材料が必要であることを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし、彼らは手を加えるべき原料を得ることが出来ませんでした。
日本は絹産業以外は、固有の産物がほとんどなにも無いのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれらの一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって、彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。

駐日ローマ法王代表バチカン公使代理、ブルノー・ビッテル神父

いかなる国家もその国家のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務がある。それは戦勝国、敗戦国を問わない平等の真理でなくてはならない。
もし靖国神社を焼き払えば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉このうえない汚点となる。歴史はそのような行為は理解しないに違いない。靖国神社の焼却など米軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。国家のために死んだ者はすべて靖国神社にまつられるように、進言する。

明治天皇
よもの海みなはらからと思う世になど波風のたちさわぐらむ。
はらからのむつびをなしてまじはらば、とつく人にへだてざるらむ。

天皇陛下万歳