靖国と私、その5

M上飛曹の遺書。
長らくご無沙汰致しましたが、そのご父母様お元気の事と御推察致して居ります。小生もその後大元気で勤務して居ります故、御安心下さい。貯金通帳と、写真を同封致しましたから御受け取り下さい。
1 国債貯金 長崎貯金支局そ49377 五円
2 普通貯金 福岡貯金支局そホ35299 百八円六十五銭3
3 普通貯金 福岡貯金支局そち19308 二十五円
4 普通貯金 長崎貯金支局そな34864 八円
四冊共印鑑無きに付き改印届と住所変更を郵便局にしてください。二十三日駅にて面会を待っていましたが、電報が未着であったかもしれませんが、残念にも面会せず出発します。
くれぐれも父母様、寒さに向う折柄御体に気を付けられて長生きして下さい。在満の兄姉様にもよろしく、ではさようなら。
御両親様
Iより

これがM上飛曹の遺書ですが、他の特攻隊員の遺書と比べてみると、彼のものはかなり異色です。ほとんどの隊員は両親に今迄、育て上げてくれた事への感謝の気持ち、そして自分の兄弟達への言葉、日本男子として死に場所を得たことは本懐であること、必ずや敵空母を轟沈します。そして今や何の迷いもないことなどを書き残しておりますが、彼の遺書を読みますと、ほんの少し海外出張にでも出掛ける人が家族に残した手紙みたいで、もう二度と会えない、間違いなく生きて還れない人間が父母に最後に伝えたい言葉にしてはあまりに淡々としています。
特に彼等はかなり初期の特攻隊でありますから、かなりの心の動揺があったはずなんです。
この後、年が変わり昭和二十年になるともう、特攻が当たり前になってしまいますがまだ、この段階では体当たり攻撃が存在することは、一般の将兵は知るよしもありません。いきなりの命令で彼は取り乱さなかったのか?一体どんな死生感をもっていたのか?前にも紹介しましたが私が鹿屋と知覧で見た二枚のお写真は眼鏡をかけていました、艦爆の偵察員たはいえ、視力がなければ飛行機乗りには成れません。サングラス?それとも伊達眼鏡?うーんもっと彼の事しりたい。
そんな時にホルモン焼き屋のほうちゃんから一冊の本を借りました。知覧にて陸軍特攻隊員の母と慕われた、鳥濱トメさんの話です。軍指定の食堂をやっていたトメさんは隊員達に「お母ちゃん、お母ちゃん」と呼ばれ出撃前の若い彼等をずいぶんと良く面倒をみてあげたそうです。
有名な話ですが、ある特攻隊員が出撃前に「母ちゃん、俺たち死んだら必ずホタルになって帰ってくるからな!」彼等が沖縄に飛んだその夜、食堂を開け放ち待っていたら、本当に二匹のホタルが店に入ってきたそうです。また、トメさんが亡くなったお通夜の晩に季節外れのホタルが飛んできてトメさんを迎えにきたそうです。