靖国と私、その4

前回は鹿屋での、思いもよらぬ出逢いの話でした。 まだ余談がございます。
翌日は知覧へ向かいました。鹿屋が海軍航空隊の基地、知覧は陸軍航空隊の基地でした。こちらにも立派な資料館がございます。特攻隊の映画の舞台にもなっておりますので、鹿屋よりも知名度があります。
さてこちらの資料館には陸軍航空隊の特攻で散華なさった英霊のお写真、遺言が展示されております。二十歳そこそこの若者達の残していったものを拝見しておりますと、自然と目頭が熱くなります、ハンカチを手に彼等の遺品をご覧になっている方々がいらっしゃいました。ほとんどが陸軍航空隊の資料ならびに遺品、遺書ですが一ヶ所だけ鹿児島出身、海軍の特攻隊で亡くなられた英霊の展示物がありました。ボードにお名前が記されておりました。お写真も数枚だけ、その内の一枚はあの鹿屋でお逢いしたM上飛曹でした。違うお写真でしたが、やはり眼鏡をかけていました。眼鏡をかけた航空兵、そのお写真からも、なんか興味深いお人柄が伝わってきました。
資料館での見学を終えて知覧市内に戻ります、ここでは武家屋敷が有名です。高塀や石垣に沿って武家屋敷が続きます。何軒かの見学を終えて道に出ると観光客の姿が見えません、今がシャッターチャンスとばかりにバッグから五郎君を取出し写真を一枚撮りました。そして我々が写真を撮った場所は、ある武家屋敷の玄関前でした。まだ御子孫が住んでいらっしゃいますので表札が掛かっています、お名前はM家です。そうです、あの鹿屋の英霊と同じ名字です。あれ?ひょっとしたら、この武家屋敷はかれのご親戚か、もしかしたら生家かな?なんて熊吉君と話をしていたら、どこからともなくお線香の匂いがプーンとしてきました。そこから駐車場まで移動したんですが、しばらくの間、二人のまわりにお線香の香りが漂っておりました。
その夜には家路につきましたが、どおしてもM上飛曹のことが知りたくてインターネットに彼の名前を入れて調べてみました。何件かの情報はありました、主に彼の所属部隊の出撃記録でした。ただ一つ彼のことを知り得る情報がありました。それは「海軍特別攻撃隊 遺書」というCDが1992年に発売されていました。ナレーターには、三浦朱門さん、佐藤愛子さんなど、そうそうたる顔ぶれです。実は佐藤愛子さんは私の見えない世界との関わりに大変大きな役割をなさっています。その話はいつかまた。
次の休みに靖国に行きました。遺書がCDになるくらいなら、靖国の遊就館に何かしら彼に関するものがあるのでは?残念ながら何も見つけることは出来ませんでした。それでは遺書が載っている本がきっとあるはずだ、本を探そう、そう決めた私は九段下の本屋さんへ急ぎます、彼の名を告げて遺書が載っている本を検索していただきましたが残念ながらヒットしません、よーし、そんなら三省堂の本店、ここしかない!九段下から神保町に駆け足前えー!三省堂のご案内デスクにたどり着き、彼の遺書が載っている本を再度検索。そしたら、ありました!!海軍特別攻撃隊遺書。ご親切に出版元まで連絡していただきましたが、もう絶版。担当者も退職。もう40年近く前に出版されていました。残された道は神保町に星の数ある古本屋をあたるしかありません。でも不思議なことに必ず見つけられる、確信がありました。三省堂の店員さんに聞きました、「このあたりに、軍事物に強い古本屋さんはありませんか?」さすがは三省堂、直ぐ調べてくれました。「お客様、すぐそばに、軍学堂さんという古本屋さんがあります。」
厚くお礼を述べ、軍学堂さんに走ります。本当にすぐ近く、階段を駆け上がり、「すみません、この本ありませんか!」若い店員さんでしたが、棚に向かって歩いていき、一つの小さな本を取出しました。「この本ですよね。」 そう、その本です。この続きはまた。