靖国と私、その三

そんなこんなの出来事で次の旅行は、鹿児島に行くことにいたしました。とはいっても、スポンサーは奥さんの熊吉君です。まず彼女の承諾を得なければなりません。
お伺いをたてたところ、前回の高千穂旅行ですっかり九州好きになった彼女は一も二もなく同意してくれました。話はそれますが、高千穂のお宿は「末広旅館」です、小さいけれどホスピタリティーはすんごく大きなイケメン若旦那が皆様を迎えてくれます。
話をもどしましょう。お店がありますので我が家の旅行は年に二回です。そのうちの一回は伊勢にご挨拶にいきますので、鹿児島行きは翌年の3月になってしまいました。メンバーは私と妻の熊吉君と居候の熊五郎君の三人の強兵です。熊五郎君は前回の伊勢神宮参拝より一緒に旅しております。彼は妻が連れてきた何体かのぬいぐるみの一人です。もう10年以上我が家におります。なぜか我々夫婦の喧嘩のとばっちりを受けるんです、五郎君は。一度目は怒り心頭の私にゴミ箱に投げ込まれました、運悪くゴミ箱の中には食べ残しのシチューが・・・哀れな五郎君はシチューまみれに。
妻はしくしく(T_T)五郎をシャワーで洗っていました。二度目は酔って帰った私にロベカルよろしく蹴飛ばされ一部屋飛び越しトイレのドアーに叩きつけられました。三度目はラックの上で他のぬいぐるみ達と埃をかぶっていたのを私は咎めます、「大事にしないんだったら、みんな捨ててしまえ!」妻の熊吉君は又々シクシク(T_T)、五郎を連れてシャワーで洗ってあげました。
実はこの日から妻の五郎に対する扱いが激変いたします。もう我が子のように接し始めました。家の中では直ぐ脇に座らせ、事あるごとに話しかけます。寝るときは大事に抱えてまるで自分の子供のようです。さすがの熊吉君も将来に不安を感じ精神的にまいってしまったのか?それとこれが一番怖いんですが天狗にかかったのか?(得体の知れない靈物に影響されることです。)ともかくしばらくは心配いたしましたが普通に会話もしますし、いつもの熊吉君でしたので安心いたしました。
その夏の伊勢には五郎も私達と同行し楽しい旅になりました。当然、鹿児島行きにも参加させました。鹿児島旅行の様子は以前の勝手報告をご覧ください。まあ、ぬいぐるみも見慣れてくると可愛いもんで、いつのまにか私も話しかけるようになってしまいました。少し前のテレビ番組で我々と同様に、ぬいぐるみだけの旅行ツアーが在ことをしりました。勿論、添乗員つきです、様々な理由で自分のぬいぐるみに旅をさせてあげたい。日本中からお客様のぬいぐるみが送られてくるそうです。なんか、わかる気がいたします。
そして本題にはいります。鹿児島旅行二日目は今回の旅の目的地、鹿屋です。この地は太平洋戦争中、海軍航空隊の基地でした、沖縄めがけ多くの英霊が特攻隊として散華なさいました。靖国で浄化されて以来、この鹿屋が頭の中から離れませんでした。現在は海上自衛隊の航空基地になっております。立派な資料館があり、館内には海軍航空隊にまつわる品々が展示されています、当然、特攻でお亡くなりになった方々の遺品もございます。この時は五郎もバッグから顔を出して我々と共に館内を巡りました。遺品の全てに目を通したいのですが、あまりに時間がかかります。取り敢えず展示室中央にある遺品だけ見て廻りました。そしたら何故か私の背中、後ろの角のケースが気になります、振り返って近寄って見ますと、航空兵の白いマフラーが広げられております、長さは一メートルくらいでしたでしょうか、このマフラーに彼の、出撃記録が筆によって記されておりました、その端になにやら絵が描かれております、なんの絵だろう?顔を近づけてみますと・・・、そうです、皆様ご推察のとおり、五郎の絵でした。

このスタイルです。足を前に出して少し前かがみでお座りしている、五郎いつもの姿勢です。この時、私は全てを悟りました。我々は鹿屋に行ったんじゃない、鹿屋に呼ばれてきたんだ!!
その後、とっても懐かしく温かで嬉しい気持ちになりました。毛のうねも、いつも心配そうで気の弱そうな雰囲気も五郎君そっくりです。前にもお話いたしましたように、靖国に関わる、一連の現象で自分には、海軍航空隊の英霊が懸かっているのは分かっていました、が、それが誰なのか?一人か?複数か?はたまた交代制か?まさか知る由もありません。それが、こんなかたちで会えるなんて。
彼はM.Iさんというお名前でした。九九式艦上爆撃機の偵察員でした。この飛行機は太平洋戦争の初期に活躍した二人乗りの爆撃機です。階級は上飛曹、御出身は鹿児島、昭和19年10月29日マニラ東沖で特攻にて戦死なされました。隊の名称は「至誠隊」。まだ20代半ばでした。遺品のマフラーの横にお写真がありました、飛行機に、もたれかかたポーズをとっていました。何故か眼鏡をかけているんです、飛行機乗りが眼鏡?実はこの翌日に知覧でも彼の写真を見たんですが、その写真も眼鏡をかけていました。伊達眼鏡でしょうか?あまりお顔の表情とかは、わかりませんでしたが、少し他の航空兵達とは違った雰囲気の方でした。
でも、自分の遺品に墨で熊のぬいぐるみの絵を書くなんて、どんな人だったんだろう?あのぬいぐるみは誰から頂いたんだろう?愛する人からかしら?それとも幼少の頃から大事にしてたのかなー?想像は膨らみます。この後、近くある慰霊塔にご挨拶してまいりました。残念ながら資料館内は写真撮影は禁止です。みなさまも、もし鹿児島に行かれましたら、是非とも鹿屋にお立ち寄りくださいね。
この写真はただ一ヶ所撮影可能、「永遠の0」の前にて、英霊の依り代である、熊五郎君と、直後に撮った写真です。

続きはまた。