震災について(最終回)

さて、先の震災について最終回です。
震災直後、昭和47年築の集合住宅の我が家の無事とたった一つ贅沢品液晶テレビの健在を確認した私は、いったい被災地はどうなっているのかとテレビをつけてみますと、その画面に息をのみました。確か茨城県の鹿島沖だったと思いますが大きな渦巻きが二つまさにうごめいているかのようでした。私にはその渦が巨大な生き物に見えました、あーこれは自然災害等ではなく「とてつもなく大きな意思」によるものだと感じました、と同時に大変多くの人々が亡くなる。その画面を見ているうちに涙がぼろぼろでてきて止まりません、知らないうちに神棚の前で手をあわせ「もう一度日本人は一生懸命やりますから、どうかこれ以上陛下の民草の命をとらないで下さい。」子供がお母さんにすがるように泣きながらお願いしました。
しかし2万人近くの人々が犠牲になりました。あんまりこの国がおかしくなりすぎました、自分なりに何かできることはないかと思い、旗日には国旗を掲げたり心あるお客様に国旗を差し上げたり、靖国神社を紹介させていただいたり、天皇家、また国土の不思議さや自然の素晴らしさ、そして小沢氏をはじめとする民主党の危険性(一部大変まともな方もいらっしゃいます。)などをホームページ上にて書かせていただきました。
繰り返しになりますが宮崎県の鶏インフルエンザ、牛口啼疫、新萌岳の噴火、クライストチャーチでの地震。そして今回の震災。すべては無関係ではないような気がします。ですから私は妻と一緒に高千穂に行き自分なりに皇祖皇宗の神々にお詫びいたしました。
その翌々日にあの大震災でした。
申し上げておきますが私はいかなる宗教団体、政治団体に関係している者ではありません。
ただ4年ほど前にある体験、世間では超常現象と言われておりますが、この世といいますか、宇宙といいますか、私達の回りにはとてつもなく大きな意思が働いていると感じるようになりました。神様といっても良いでしょう。
いまでも不思議なものを見たり聞こえたり科学では説明出来ない体験は続いております。あれ?これは一体どういうことなんだ?そんな時にはかならず教材が現れます。少しずつ何かを学べ。
そう言われてるきがします。
こんな話をいたしますと私がいかにもストイックで品行方正な人間かと思われるかもしれませんが実体は全く逆。
毎日、安酒をあおりタバコもやめられず結婚前は福富町あたりでロシアだルーマニアだと金もないのに女のケツばかり追いかけて、懐があったかけりゃ東京のキャバレーにまっしぐら!
「ハリウッド」、「白い薔薇」なんかよくかよってました。
それでも国を思う気持ちは人二倍強かったとオモイマス。
では、また。