高校を出て専門学校にはいり希望していた、旅行会社に入社し営業マンとして働きました。
勤務先は埼玉の大宮でした右も左も分からない1年生が毎日毎日名刺1枚頼りの飛び込みセールです。
なんの知識もない若造の話を聞いてくれる物好きはそうはいらっしゃいません。ましてや旅行を任せてくれるなんて本当にごくごく僅かの会社さんでした。
それでも何ヵ月かたちますとポツリポツリと仕事がはいり始めます、仕事が入れば添乗員として同行いたします、主に会社の慰安旅行でしたから鬼怒川、塩原、熱海、伊東など1泊2日の日程でした。
宴会になれば芸者やコンパニオンが場を盛り上げて歌あり踊りありの皆さんはめを外して大騒ぎです、それはそれは楽しいもんでした会社が一つの家族みたいな時代だったと思います。もちろん自分がお世話になった営業所も同様で所長以下女子も含めてしょっちゅう飲みに皆で飲みに行ってました。
酒の肴は仕事の話です先輩にグチを聴いてもらったり叱られたり褒められたりと所内では言えない話が交わされます、これが1番のガス抜きでした。
仕事で困った事しょっちゅうでしたが会社に行くのがイヤになることはありませんでした。まだ昭和の空気です。
その後会社を辞めしばらくニュージーランドで暮らしました。人々は質素で美しい自然に囲まれたなかでの生活はなにが裕福で幸せなのかを教えてくれました。
帰国した直後N.Z.の友達、日本人、と都内で食事をして回転式の駐車場で友人の中古のシビックを待っているあいだ、1台1台車がでてきます、それがベンツ、B.M.W.等々超高級車ばかり、それを待っているのがブランド品に身を包ん20代の若者達、私と友人は思わず顔を見合せました、やっぱりこの国ヘンだよね、1990年頃でした。
そうしてこの頃に私にとって衝撃的な事件が2つ起こります、最初は東京の綾瀬で起こった少年等による女子高生コンクリート詰め殺人事件です。
そしてオウム真理教の地下鉄サリン事件です。このあたりかりから本格的的に日本人の劣化が表面化してきたようににおもわれます。
それ以前にも金属バット殺人事件や警察官による女子大生殺人事件もありましたが・・・新聞記事で親が子供に、子供が親に手をかける事件は驚きに値しなくなってきました。
そして児童ポルノ、最初はずいぶんと悪い組織があるんだなと憤慨しておりました、が、ある新聞記事を読んで愕然とします、親がお金欲しさに子供を差し出す?!まさに自己の欲求のためには手段をえらばす、日本人もここまで落ちたのか。怒りを越えて悲しくなります。
政治も迷走を繰り返します小泉さんの後、阿部、福田、麻生とまるで日帰りランチよろしくコロコロと首相が代わりました。
一国の政治はその民度を反映すると言われます、そうこうしているうちに民主党の登場となりました。
子供手当て、事業仕分け、外国人に参政権、夫婦別姓等々一見耳あたりの良い政策は日本の国力を削ぎその文化を無き物にしようとするものです、先の衆議院選で民主党が大勝した時に私は妻に言いました。今、一番大笑いしているのは中国の胡錦濤だよ。
そろそろ本日抜歯したところが傷んできました。
また次回ごきげんよう。